eyelessfish



『人のセックスを笑うな』の中古本を
0時前の閉店間際に買いました。
遅くまでやっている本屋さんに感謝しています。
自分ではどうしようもなく持て余している気持ちの行き場が
きっと深夜の本屋のどれかの本にあります。
いつもならカバーをおつけしますか?
と聞いてくれるのに、
カバーは何も言わずにつけてくれました。
その店員さんの本日の最後の客が、
しかもぼくのような見た目の人間が、
タイトルがタイトルである本を買っていくなんて、
さぞ心が乱れたことであろうと思います。
買取額がクーポン持参で10%アップになります。
ぜひ読まなくなった本がありましたら
お売りくださいませ。
その台詞は一字一句正確でありました。
とても丁寧な対応で、
本が好きな人だと思いました。
その本をじっくり味わってくださいね。
と、言われたみたいでした。

久しぶりに映画を観て
原作が読みたくなったのを、
帰り際思い出したので
ぼくはレンタル屋を通り過ぎて、
書店へと向かったのでした。
帰ったらトイレに行って、
ズボンをまたきちんと履いて、
もう一度便座に座って買った本を読みました。
小一時間で読み終わりました。

ユリちゃんのような女性のことが知りたかったのに、
気になったのはみるめ君の気持ちで、
今日仕事で、
突然態度が変わってしまった学生君の気持ちがわからなくて、
何がいけなかったのだろうとずっと考えていました。
何が気に障ったのかいまだにわからないけれど、
ぼくも若い頃、
突然気分が悪くなって無性にイライラしたり、
かっとしたり、
悲しくなったりしたことが多かったことを思い出しました。
彼が繊細なんだと思い、
悪いことをしたなと思うし、
ちょっとだけ傷ついたなあという気持ちに対して、
こんな風に許してあげられるけど、
チクっと痛い気持ちになるんだなあと
大人の痛みが少しわかりました。
もうこれからは、たやすく人を傷つけたりしないよう、
許す側に徹していこうと思いました。
彼はきっと自分が大切にされていないと思ったのかもしれません。
そんなことないのに。
頼れるからほかっておいたのになあ。

映画も原作もユリちゃんはユリちゃんでした。
もしもの人生が並行して進んでいくような
パラレルワールドみたいな違いでした。
一緒にいても一人でいられる人と、
会えなくても終わりじゃなくていい人と、
そばにいたい人は色々いて、
あれもこれもとはいかないのだと思いました。

とても下手な例えですけど、
すっごいうまいケーキを何度も買えるだけ買って食べ続けるより、
美味しかったな!っていうひと時の幸せな気持ちが
心の中でずっと残っているほうがずっと幸せだと思うのです。



あまり心を開かない人がきゃっと笑うと、
猫がはじめてゴロゴロ言ってくれたときのように
すっごく嬉しくて、
かわいいなあと思ってしまいます。

「においがしないから、違うと思う。」

その台詞も、
猫か!と裏付けたくなる台詞でした。

人の心を考える今の生活、
面白いなあと思っています。







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にやけてふわふわしたこの感じはーーーー
錯覚だと思っています。
だから今度確かめるために
3秒くらい正面から見つめてみようと思います。
照れてしまってろくに顔を見ていないから、
よく顔を見てみてそれでもやっぱり、
そこから逃れたいくらいにそわそわしたら、
錯覚じゃなくて本当なんだと思います。
本当だったらどうしようかな。
でも何が本当なのかな。
どこに本当があるんだろうな。
あ、そうだ、
最初で最後だったから、
どこにも本当なんてないんだったなあ。
ふわふわだけで幸せな感じをひと時でも
共有できたらいいのに。
今度からはとっても優しくて甘くて
それだけの存在でいたいです。
急に呼び出されてただ横にいるだけとか、
そんなだけでいいのにな。

なんだかするすると紐を解いてくる人がいて
簡単にぼくは紐を解いてしまいました。
優しく巻いて受け止めてくれたけど、
その手を少し強めて引っ張ってくるような、
そんな人だと思ってちょっとドッキリしました。
あんまり引っ張られないようにしなきゃ。

ふにゃふにゃです今。







相手がどれくらいぼくのことが好きなのか、
どれくらい気持ちが届いて響いたのか、
すべてわかったらいいのになって思います。

不意打ちで会うとぎこちなくなったり、
突然話しかけられると言葉に詰まったり、
頭の中でイメージしていることと違うことが
現実に起きた時、
もったいない態度をしてしまうことがあります。
もっと笑えばよかったのに、とか。
もっと目を合わせられたらよかったのに、とか。

頭の中では、様々な心を掴む作戦が先行されているのに、
現実ではどうもうまくいかないことばかりです。
というよりは手応えがないので、本当のところがよくわからないのです。
相手もぼくのように
ただぎこちなくなってしまっているだけだとしたら、
それはなんて愛らしいことなんだろう!
と、また頭の中のイメージだけが先行されてしまいます。

時々、手応えを感じるときもあります。

前よりも言葉の節がくだけているなあ、とか。
前よりもよく笑ってくれるなあ、とか。
わざわざ会いに来てくれたんだ、とか。

それでもぼくの態度はどこかもったいなくて、
あーあって感じなんですが、
振り向いて一人になった時の顔は、
間違いなくにやけていますね。

痛々しくなくて、
迷惑でもなくて、
はっとしたけど嬉しいなっていう、
そうゆう優しさが与えられたらいいです。
はっとするっていうのは、
ちょっとドキドキさせたいなっていう下心です。

仲良くなりたいです。
心を乱さない程度に。
そばにいなくても平気で、
思い出したら微笑むくらいの存在でいいのです。

研究中です。








気持ちは変わるものですね。

今でも感情を剥き出しにして行動しそうな時があります。

ところが近頃は、
「気持ちは変わる。
だから、今の感情だけで行動しないようにしよう。」
そうやって冷静になることができます。

まだまだ、ですけどね。


腹立つなあ!
と思ったら、プンプンして、
プリプリ歩いている時がありますし、
書き殴るようにペンを走らせることもあります。

それで後で冷静になって、
気を緩めたり、
書き直したりしています。

仕事の上ではこんな感じです。


それと、
気持ちが変わるものだと感じているのは、
彼女に対しての気持ちです。
あんなにあんなに好きだったのに、
あんなにあんなに大切だったのに、
彼女無しでも生きている、
彼女無しで生きていきたいと思っている、
自分に驚いています。

毎日忘れることはありませんが、
これまでの出来事・思いすべてが
ぼくをたしなめる寓話のようになりつつあります。

彼女のことを嫌いになったのではなくて、
大切ではなくなったのではなくて、
感謝の気持ちを忘れたわけではなくて、
恋人でいられなくなったことに未練がなくなり、
唯一の存在であることへのこだわりがなくなった感じです。

お互いが違うところで生きていくことを、
納得しています。

けれど彼女のほうはそうではなくて、
ぼくに捨てられたと思っています。
彼女のほうはそう思ったまま生きていくのかもしれません。


結婚したい。
こどもが産みたい。
親を安心させたい。
男に愛されたい。
お金がほしい。


ぼくはどれも叶えられなかったし、
今も叶えられないです。


だから拒むのです。

震えた声で、
わかったって、
帰っていく彼女を見送ったのは
1ヶ月以上前のことです。


一緒にずっと暮らしていけるパートナーに出会いたいなと最近思います。
暮らす。
ということが当たり前でとても難しいことだと思います。


この先のことは何もわからないけど、
この日々が、この時間が、
何かにつながっていると思うと、
窓に映る一人の自分を見つめても
孤独にはならないようです。
むしろわくわくしています。



彼女はずっと孤独なのかもしれません。
寂しさを埋めるのがぼくだった。
ぼくも埋めてあげたいと思っていた。
早くぼくが捨てられますように。
幸せになれますように。







人に愛されることで、
人が好きだった時に戻りたい。
そんなことを急に思ったから仕事を変えて、
ぼくはいろんなものを少しずつ取り戻した。

一人で生きていくのが上手になってきたけど、
若い人の素直さをかわいいと思うようになってきたけど、
今でもちやほやされたいなあと思う。
嬉しいんだよな、気にかけてもらえると。
相手のためにって頑張ってしまう。

けれどもあんまり無理しないようにー
人の心に気軽に踏み込まないようにー
やれないことはやらないと決断できるようにー

もっともっと力を抜かないとなあ。


今年初めて積もった雪を車からかき落として、
しばらく運転しているうちに気がついた。
ぼくは雪が当たり前の人間じゃないのに、
とても冷静だったことを。
よく見たら雪は柔らかくふわふわと舞っていて、
実のところ雪は上昇しているんだという、
小説の一節を思い出して、
きれいだなあと思ったら泣けてきた。

たまらなくなって、
溢れる感情の正体がわからないまま消化していく日々に、
寄り添う人がまた現れることがあるのかと
信じられない気持ちでいる。
あの人は確かに空気になった。
虚しいくらい当たり前で、
生きていくのには不可欠な、
ありがたいけれども意識できない存在に。

一年の終わりに悲しみだけに支配されていませんように。

よいお年を。