eyelessfish





決して、友達にはなれない3人。
決して、恋人にはなれない2人。

なのに、なぜ会うのだろう。
ぼくは3人のうちの1人で、2人のうちの1人。


気がついたらシャツはしわだらけで、
行き場のない袖が腕に溜まっていた。
ズボンのサイズは合わなくなっていて、
質が悪く見えた。
髪の毛はペタンコで、顔に色がなかった。


知らぬ間に、ぼくは抜け殻の中にいた。
ぶかぶかの抜け殻を被ったままなのに、
その重さのわけがわかっていなかった。


だからかもしれないけど、
そこでは友達にはなれなくて、
あそこでも恋人になれないと思った。
今も思ってる。


誰かに会って、連絡をして、また会って、
その合間に面接に行く。
抜け殻を被ったままでも受かった。


よっこいしょ。


ワインが胃をグルグルして、
そのあと頭でグルグルしている。
今日反時計回りにグルグルした橋を渡ったから、
ワインもきっと反時計回りに回っている。
明日、同じ橋を時計回りに回ったら、
正常な身体に戻るかな。



いい夢みたら、泣いちゃうな。




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仲のいい人がいて、
毎日連絡を取っている。
その人は友達ではない。
元同僚で気の合う人だ。
下の名前で呼び合うほどでもなく、
名字で呼ぶのもよそよそしい。
だから、向こうはこちらのことを
名字で呼び捨てする。
ぼくは相手のことをキミと呼ぶ。
他人にぼくらのことを話すときは、
説明のしようがなくて、
とりあえずのところ友達だと説明している。

唯一の思いのはけ口のように、
ぼくらは互いに思うことを口にする。
ひとりごとのような文を送れば、
さりげない相槌のような返事が来る。
それを小さな糧にしてぼくらは生きている。

長いつきあいになるけど初めて最近になって
遠出をすることがあって、
けっこう長い時間共に過ごしたけど、
全然疲れなかった。
ゆっくり過ごせたことで、
日頃肩に入りすぎた力がほぐれたぐらいだ。

今度はもっと遠くへ行く予定を立てているけど、
泊まりは絶対にないなと思う。

まず、トイレさえ恥ずかしいのに。

一応、相手も自分も女だから、
トイレのタイミングが重なれば、
同じ女子トイレに行くけど、
そこで必ず、
「お前、トイレあっちでしょ?笑」
というくだりは当然ある。

相手は彼女とのこれまでのことをすべて知っている。
ぼくがどんな人間なのかよく知っている。

ぼくらは同性だけど、
男と女みたいな違いがあって、
男と男みたいな気さくな友情のようなものがある。

泊まって、同じ部屋に寝て、
一歩踏み込んだ素を見せるのは、
なんだか違う気がする。

着替えとか、
トイレとか、
風呂とか、
寝る前の諸々のこととか、
起きたらする諸々のこととか、
そうゆう生活くさいことをお互いに見せるのは
なんだか違う気がする。
ま、裸の付き合いは絶対にない!けどね。
それに、相手とぼくがどうにかなるなんてことを
彼女は心配しているようだけど
それも絶対にない。
相手も全く同じことを思っているはず。

ただ一つ、ぼくと相手とで行動に違いがある。
それはたまに、相手が怒ったり拗ねたりすることだ。
ぼくは相手に腹を立てたことがない。
だから、怒ってるなって気づいた時、
何で怒ってんの?って聞いてしまう。
別に怒ってないけど。
という返事の時は必ず怒っている。


今だってぼくは、
この友のような人のことを、
「その人」というほど遠くないと思い、
「奴」と呼ぶほど大まかにはできず、
「彼女」と呼ぶほど女と思ってない失礼な気持ちで
「相手」と呼ぶことでここで説明した。

いつまでも変わらないよそよそしさと
家族のようなずうずうしさ、
その両方を抱えたまま付き合いの長い人。

そんな複雑な関係の人っているよなあ。



キミは今何で怒ってんだろう。
わからないなあ。



2017.09.29_08:15



職場の同僚がぼくのことを心配して、
ランチでも行きませんか?と誘ってくれた。
会社では話せないこともあるでしょう、と。
休みの日に同僚と会うのは初めてのことで、
要領がわからないまま行った。
気軽なランチだと思っていたけれど、
夕方まで相手のプランはびっしりと詰まっていて、
午後は昼寝しようと思っていたとっておきの予定はあっさりとなくなってしまった。

喫茶店で早めの昼食を取り、
(11時ごろでもモーニングセットでパンやサラダがつく)
公園を散歩し、
大型書店や図書館を巡り、
神社が建つ山の麓で甘味を食べて帰宅した。

好きな本は、とか
好きな人物が語る考えとか、
本にまつわることをたくさん話す一方で、
どれくらいの生きづらさを抱えているかということも、
話すことでその痛みは共有できたと思う。

けれど最後まで、
ぼくは自分の本当の痛みを打ち明けなかった。
もし打ち明けたなら、相手は間違いなくぼくに同情し、
次の日からぼくへの態度や上司への態度が変わるだろう。
それが嫌だった。だから何も言わなかった。

同僚にとって休みの日に出かけたことは、
ちょっとした秘密であり、
仲の良さを手に入れた充実感があり、
相手のことがわかったという自信があるようだった。
次の日、それを全面に出し、
「昨日はどうも」と微笑まれた時、
ぼくは少し怖くなった。

冷たくするわけではないけど、
なるべく普段通りに仕事をした。



ぼくだって嫌われたくない。
むしろ愛されていたい。
けれど、あなたのためを思ってと、
ぼくの希望を越えて尽くされると困ってしまう。
ぼくは望んでいないのに、
「あなたのためにしたことなのに。」
と、あとでがっかりさせることは
これまでにもたくさんある。


ぼくにとって最初で最後の彼女は
いつも自分のためであることが正直な人だった。
あの時は寄り添ってくれないことに時には寂しさを覚えたものだけれど。

「私が一緒にいたいの。一緒にいると私が幸せなの。君は必要なの。」

それがありがたかったのだと気づいた。


だって動物はいつもそうだし、
相手のことを思って(見返しを求めて)
愛してほしいと思っていない。
心地よい、気持ちいい、うれしい、安心、寂しい、辛い。
感じたことが溢れ出ている。



犬の頭は撫でられる。
猫の腹はさすれる。
でも、同僚のあなたのためにしてあげたいという気持ちは埋められない。
あなたの気持ちに寄り添いたいという思いだとしても、
その裏には、
アナタトナラオナジイタミヲキョウユウデキルワ
という期待が大いに含まれている。
それが恐ろしい。ぼくは何も返せない。


ワタシトアナタハオナジニンゲンナノ
これにたどり着くのが一番こわい。



2017.09.13_00:17



ぼくが昼間、お菓子ばっかり食べていることがバレている。
お菓子の包み紙ばかりゴミ箱に捨ててあるからだ。
シリアルバーとか、カロリーや栄養が取れるお菓子がちょうど良いやと思って食べている。

みんながゴミ箱を見て、
ヒトのことをあれこれ思い、
あれこれ言うことに驚く。
捨てたものを拾う。
その動作とは違うけれど、
確かにぼくが捨てたものを目で拾い上げる人がいるのだ。

ぼくは捨てた。
昼間においしいご飯を食べること、
そのためにおいしいご飯を作ること、
その努力や楽しみも。

なのに、それらを拾い上げる人がいる。
おいしいお弁当を作ってきてぼくに食わせる。
または、何か美味いものを買ってきてくれる。
ぼくは捨てたものを再び手にする。
一人では生きられないってこうゆうことなのかと実感する。
甘い卵焼きとか、味の染みた肉巻きとか、
そうゆうものを食べてヒトの幸せが伝染する。


天気のいい日、
野良猫と向き合ってお菓子を食べていると、
自分にもくれるのかと思って、
三毛猫と黒猫がお行儀よく目の前で座り、
もらえるのを待っている。
ぼくはポケットから、
彼らのための袋を開けカリカリを与える。
食べ終わると何度も口の中を舐めて、
そして毛づくろいを始める。
どうやら幸せは猫にも伝染するらしい。
満足気である。

もっと幸せにしてあげられたらいいのに、
できることは限られている。
自分が十分に幸せでなければ、
自分以外の人を幸せにすることはできない。
明日もぼくは昼間にはお菓子を食べて、
猫にはカリカリを少しあげるだけだ。
その日々が続く、このままではね。


今日、久しぶりに会ったらとっても疲れている彼女を見て、
ぼくが彼女の一番大切な時期を奪っていたんだと思った。
あの時他の人生を選んでいれば結婚も家庭を持つこともスムーズだったはずだ。
それで、
自分もとても疲れていることに気づいた。
あの時捧げることだけが生き甲斐で
大切なものを簡単に捨ててしまったんだと思った。
あの時お互い失ってばかりだったんだって思った。

でも、その考えはやめた。
あの時一緒にいることができたから
幸せだなって何度も感じることができたし、
ぼくは強くなれた。大人になれた。
そう思う。

一緒に過ごしたあの時間と、
離れ離れになったこの時間を無駄にしてはいけない。
彼女と久しぶりに会う時は幸せが伝染するぐらいでなければ。

このままではいけないと思う。
そんな衝動に駆られている。
でも慎重に、自分は変わらなければいけない。

ヒトを傷つけたくない。
誰かを幸せにするために
幸せになりたい。


30歳まであと1年半。
それまでにやることを決めた。
決意表明。


あ、証人になってしまいましたね。










2017.09.04_00:37


戻りたい。 自分の居場所
稼ぎたい。 〜のために
休みたい。 考えるのも休みたい
遊びたい。 もう一度過ごしたい
役に立ちたい。 必要とされたい


初めて、こんなことを一度に思う。




今日、休憩中の散歩で、
自販機で見つけたミルクコーヒーを買って飲んだ。
名前も忘れた同級生が、
「私、これならコーヒー飲めるんだよね!」
と、嬉しそうに飲んだ缶コーヒーだ。

味気ないのに甘みが強くて、
ミルク感もあまりないけれど、
ゴクゴク飲んだら
なんだか爽やかな気持ちになった。

缶コーヒーといえば、
前にも言ったことがあるかもしれないけど、
すごく寒い日、
暖かい缶コーヒーを、
そのとき一番夢中な人にあげたら
「缶コーヒーがダメなんだよね。」
って言われてなんだかショックだったことがあった。

手に持った時は熱すぎるくらいなのに、
そのうち心地よい暖かさになり、
いよいよ口に含んだときのホッとする。
この有り難さを、
この人とは共有できないのか。
という寂しさだった。


そんなことを思い出しながら
休憩から戻ったら、
缶コーヒーをもらった。まさか。


冷蔵庫に入っていたキンキンに冷えた微糖のやつだ。

「もらったんだけど、口に残るから嫌いなんだ、缶コーヒー。」


一気に飲んだら冷たくて、
こめかみがキーンと痺れるくらい、
それでもすごくうまかった。


舌に残る甘みと苦味。
どちらも恋しいからまた飲むかもしれない。
苦くても欲するのはなんでなんだろう。






できることならば