eyelessfish


「ジーピーエスシンゴーガウシナワレマシタ」
ナビがそう言って、目的地まで連れていってくれなかった。
目的地があっても、自分がどこにいるのかわからなければたどり着けないのだね。

仕方ないから、
大体、今この辺にいて、あの辺を目指していけば、
たどり着くだろうと予想して、走ってみたら着いた。
時間はかかったけど。

彼女とは久しぶりの食事だったけど、
気持ち悪いから軽めの食事にしてほしいと言われた。

ぼくはもう目的地まで着いたから、
(その場所で過ごすことが目的だったから)
なんだか目的を失って気持ちが萎えてしまった。
なんで、今日は外食をするって前々から決めていたのに、
昼間に気持ち悪くなるほどたくさん食べたのかなあと思うと、
ちょっとだけ腹が立ってくるぐらいだった。

気持ち悪いのに、無理して来なくていいよ。
また今度にしよう。

そう提案したけれど、
彼女はどうしても行きたいと言った。

今日のところは帰ってとぼくが無理にでもお願いするほどだった。

もはやこれは拒否ではないか、
と、冷たい自分に驚くけれど、
今から真っ青な顔で現れた彼女が隣でぐったりしているのは嫌だった。

少々、無理をしてでも会おうという情熱を受け入れる情熱がぼくにはもうないみたいだった。

彼女とはもう付き合ってない。
彼女と言えば彼女。という意味での彼女。

違う人と結婚するために別れた彼女。

余裕だから、そう言っていたのに、
日に日に色褪せていく彼女。

雌ヒョウにはまだなっていない。

でも、絶対に雌ヒョウになるのだと思う。
今はぼくに冷たくされて少し悲しくても、
いつかはぼくをぽいっと捨てて、
また雌ヒョウになって、
きれいになって、
もっと素敵な人間になって、
人を愛することができるはず。



彼女も、GPS信号を失っているだけ。
突然、それは見つかるだろう。





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にゃっ
にゃっ


っていう短く小さい声が、かわいかったなあ。


この2週間、本当に大変だったけど、
お嬢様のお世話、してみてよかったなあ。


もう不幸な子猫には出会いませんように。
幸せな猫になれますように。



別れがなぜ泣けるのか、わかった。
離れたら寂しいんだ。
それだけのことだった。


傍から消えるということがこんなにも寂しいとは。



久しぶりにたくさん食べた。
久しぶりにゆっくり寝る。
一人の心地よさを思い出していく。



そうやって色々やっていくうちに大人になるのだなあ。
ぬくもりを知って、失って、恋しがって、
また忘れて、見つけて、大事にして。



最後の朝、やっとゴロゴロいっていた。
さんざん、おしり拭いてくる嫌な人だったであろうぼく、
最後に安心したって言ってくれてありがとう。
ぼくも安心した。



にゃにゃっ







持っていた計量スプーンは4つでセットになっていた。
大さじしか使わないからあとのものは必要なかった。
ぼくは4つのスプーンをバラバラにし、
大さじのスプーンだけを計量するスプーンとして使うことにした。
あとのものは計るためではなく、
例えばウェイパーを削るときだけ、
コーヒーを混ぜるときなどに、
適当に選ばれて使われるようになった。


だから、ぼくはこんなところにそんなところが出ると思うのだけどね、


ぼくはスプーンを使って、
あるものに対しては正確に計ることができるけれど、
あるものに対しては計りの単位が大きいために
極端に多いか少ないかということになるのじゃないかと、そう思うの。


スプーンをたくさん持っていて、
大さじ1/2計れるものも、
小さじ1/2計れるものも持っている人は、
必要なものに応じてなるべく近い分だけ計ることができて、
いつもちょうどいい分だけ得ることができるのだろうな。


ぼくはせめてちゃんと、
4つのスプーンを持たされたのに、
1つのスプーンだけ持って、
あとのものは捨ててしまったみたい。


小さじちょうどのやさしさでよかったのに、
大さじで計ったら多すぎてしまったり、
大さじ1と1/2の言葉の力(表現力)が必要だったのに、
少し足りなかったせいで伝わらなかったり、とかね。


一番、量を計りすぎてしまうのは、
正義。
いつも多め。
時に正論は相手を傷つけることもあり、
それは正論じゃないのかも。


計量スプーンなんて持ってねえ!
すべて目分量!
それでオッケー!
という人ももちろんいる。
そうゆう人の料理って美味しいもんなあ。

補足:
親父はすべて目分量、
オカンは料理が下手だった。



れっつ、くっきんぐ!






彼女が帰っていった。


出掛けてから帰ってきて、
二人で鍵を開けるとき、
また二人で暮らしていると錯覚しちゃった。
と、小さく笑って鍵を開けるぼくの後ろで、
彼女は申し訳なさそうに微笑んだ。


また一人になると、
一人になる途中から泣けてきた。
自分が男だったら泣かないだろうなと思った。
こうゆうときに泣くところが、
やっぱり生き物として女なのだなと自覚した。


また彼女は来るだろう。
その度に本当の別れに近づいているのがわかるけど。
彼女はまた来るだろう。


何十年のうち少しだけそんな日々でもいいのかなって思う。






カーテンがついていないまま生活を始め、
深夜の夜型人間の両隣の声に寝れず、
ここで初めて炊いたごはんはやわらかすぎて、
余っていたドレッシングはかけすぎて辛くて、
スープの味が全然ついていなくて、
コインランドリーでクッションを洗ったらぼこぼこになり、
ご飯を食べることも忘れていたら肌がカスカスになり、
髪もパサパサになり、
洗濯機のホースがはずれ水圧で物がぶっ飛び、
もらった洗剤は10本あり、
もらったティッシュは20箱ぐらいあり、
それらをすべて並べて積み上げて、
テレビもないからもらったラジオを聞き、
別れの歌が次々と流れ、
とうとう彼女とは会えなくなり、
歌が身に染み、
同情ではなくただ不憫で痛々しいという意味で、
ぼくはかわいそうな人間だけど、
夜8時頃帰ってくると、
野良猫が隣の車の下で待っています。
先の白いまんまるい手を揃えて待っています。
人目につかないように
小皿にごはんを入れてタイヤの隅に置いてやったら、
今日の朝きれいになくなっていました。
仲良くなって保護したら、幸せにしてやりたい。
猫おばさんにならないでね、お願いだからと念押され、
寸前のぼくはやはり、
同情ではなくただ不憫で痛々しいという意味で
かわいそうな人間だけど、
これから誰かを幸せにすることはできるでしょうか。


生活の小さな目標やささやかな楽しみが、
彼女なしの人生でも、
生きる糧になっていく日が来るのでしょうか。


伴奏だけで物語が完結したような演歌が流れています。